Otake room

 Otake Room ~尾竹関連の作品・情報等を掲載致します。

 

※ 最終更新日 2024年3月1日 ~更新は不定期に行っています~

 -初回更新日 2020年8月25日ー


 

 

 

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① 「尾竹竹坡伝 - その反骨と挫折 - 著者:尾竹 親」

昭和43年11月1日 発行 

尾竹竹坡の次男、親(したし)さんの書いた作品になります。尾竹竹坡の生涯を綴った作品。父親として、竹坡を見てきた親さんでなければ描けない作品だと思います。それでけに重圧、生々しく情念の籠った文体に、私は読むのに少し時間の掛かった事を覚えています。

若くして一躍、富と名声を得た竹坡でしたが、画壇の中央から次第に追放・排斥されて行きます。竹坡を支えて応援してくれる人たちもおりましたが、次第に富と名声を失って行く竹坡。それに合わせて富と名声に群がっていただけの人たちは去ります。苦悩と苦心を抱えながら、それでも絵を描き最後まで自分の信念に沿って天寿をまっとうした竹坡。

そうした重い十字架を背負った人生を送った人がいたからこそ、その後の世代に影響を与え、家系はもちろん、竹坡の画業・生き様に魅せられた人たちの記憶と心に残り続けることになったのだと思います。

そしてその家系に呼ばれ関わることになった私は、尾竹兄弟が背負った十字架はもちろん、日本神話の時代より様々な融合を繰り返しながら繋がれてきた家系の歴史と意思を現在執筆中の書籍にてまとめたいと考えています。

私が執筆を進めている「尾竹三兄弟・評伝」を読んで頂けると理解してもらえるのではないかと思っていますが、重い十字架を背負ったのは竹坡だけではありません。越堂も、国観も、それぞれに大きな宿命を背負っていました。

「尾竹家」はもちろんですが、後に尾竹家と融合することになる各家系を合わせて系図とそこに登場する人物たちの相関図を見てみると、この家系に宿る神の意図が浮かび上がってきます。そしてそこから各家系の系図を遡ると長い歳月をかけて今日まで引き継がれてきた時空を超えた物語と、そこに登場する人物たちの功罪と生涯と天意が見えてきます。

私は令和の時代になって見えるようになった「尾竹家」と関係する各家系のある程度の全貌を描き出そうと考えています。

私が「尾竹三兄弟・評伝」を創り始めた当初は、それ程スケールの大きな物語でなかったので、実際に執筆作業を進める中でかなり大きな内容の変更を迫られることになりました。

これまで世の中に出された尾竹家関連の書籍とは、また少し違った内容になっていると思います。発売日や詳細は、またこちらのHPにて報告させて頂きます。

 

尚、尾竹親さんの著書「尾竹竹坡伝 -その反骨と挫折ー」は限定生産の為、現在は入手困難です。図書館での取り扱いはありますので、読んでみたいという方は図書館のご利用もご検討されると良いかと思います。

 

 ー下記文章ー 竹坡の生死観につての文章を一部抜粋して載せておきます。

 

私たちは私たちの形の上の姿なる肉体が、この世に生まれ出て来た時の記憶を全然持っていない。私たちは私たちの全てが悉く無意識の間に生れて来たものであることを知っている。

形の上の私たちの意思というものが、其処には少しも加わっているものではないことを私たちは知っている。

何故私たちは生まれて来なければならなかったか、何処に私たちの、此の現実的な肉体と生命とが必要でなければならなかったかそれを知って居り、それをその必要に応じて行ったものは、唯この私たちの生命の根元であり、そして宇宙の霊だけだ。そうして私たちは自分の生まれて来たことを知らない。

唯、私たちの知っているのは、今此処に自分の肉体と生命とがしずかに存在しているという事実だけだ。そうして此の不思議な生命の自覚が感じさせる私たちの人間としての使命だけだ。

しかし、この私たちの肉体も何時かは亡びなければならないことをも私たちは充分に知っているが、死とは要するに此の肉体の亡びる事であって、真の吾々の生命である吾々の例が消滅するのではない。

多くの人の生まれて来るのと共に、多くの人の死んで行ったのを私たちは見た。彼等は為すだけの事をそれぞれに為し終わって、皆一人々々死んで行った。

 

 

 

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② 「闇に立つ日本画家 尾竹国観伝  著者:尾竹俊亮」

 

平成7年12月17日 発行

「尾竹国観伝」は尾竹国観の孫である尾竹俊亮さんの作品です。画家、尾竹三兄弟の末弟・尾竹国観を軸にした尾竹三兄弟の伝記。尾竹兄弟と画壇との関係。尾竹兄弟の画力と画業。尾竹兄弟の生涯を描いた作品です。

 

 ー下記文章ー 闇に立つ日本画家 尾竹国観伝より、一部抜粋・省略したものです。


「あたりまえのもが勝つわけではない」という一語は、忘れがたい。ここでのあたりまえが国観をさし、勝ったのが天心・大観側とはいうまでもない。天心の本性は詐欺とかわらない。

各地の図書館での資料求めに始まり、故人がめぐった先々を追い、親類・旧知・門人をたどる国観への旅も終わりを迎えつつある。命令者すなわち実行者という明快さのうちに進んだ旅で、狙いは彼の肉声にひそむ訴えを察するところにあった。よくきく先祖の栄光の呼び戻しなど二次的な狙いにすぎない。自分への刺激的な指針を祖父に探りたかった。だがこの狙いは実利性には遠く、心の爽快感という部類のものだろう。

勝敗はともあれ強者に屈しなかった国観の実像をつかむための旅、そのなかで突き止めた像が自分に似ていて、とまどいつつも身につまされることが再三だった。彼と同じ条件では同一の感情に動くと思えたからでもある。

いまある枠組みの利を追うよりは、肌身の心地よさを優先させて生きたい。このような希望は私一人の満足をこえて、生地のままで暮らしたい個人への励ましになるだろう。

本音のまま生きていけとの励ましに比べれば、天心・大観のうさんくささの発見など副産物の域でしかない。美術の名のもとで実利に走ることが彼ららしく、国観の精神性を目立たせる役をはたしているとすれば、あえて葬るべき有名人とはいえなくなる。

                                             以上

 

私が現在執筆中の「尾竹三兄弟・評伝」にも、当然のことながら、岡倉天心、横山大観が登場する。そしてそこには尾竹兄弟との確執も描かれています。ただ上に抜粋した俊亮さんの文章でも触れているように、天心、大観が政治的・社会的な勝者となり、尾竹兄弟が政治的・社会的な敗者となったからこそ、親さん、俊亮さんは勿論、私自身も「尾竹家」の物語を描くことになった訳です。

これがもし、尾竹兄弟が勝者となっていたならば、明治画壇にてその名を轟かせた日本画家の息子や孫ということで、めでたしめでたしで終わりです。何らのドラマも生まれなかったように思います。

私にとって、その違いはとても大きいと思っています。

私自身の持っている資質、私が生まれてから学んだことの意味、出会い。「尾竹家」の物語を描くための調査と研究の中で、私自身のルーツを紐解き、尾竹家とそれに関連する家系と人物を紐解いています。

私の描く「尾竹家」の物語は単に、日本画壇の中での成功とか、挫折などというスケールの小さなミニドラマのようなお話ではありません。

尾竹兄弟の挫折というものを1つの点として現象として現し、そこに私の目を向けさせ、その私の目を通して「尾竹家」とそこに関連する家系と人々を描かせ、その物語に登場する人物たちの偶然とは思えない因果関係を浮かび上がらせる。神業としか思えない、何世代にも渡るとても壮大な物語です。

完成を楽しみにしていて下さい。

 

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 ③「Bien  美庵 vol .43」

 

 平成19年(2007年)2月25日 発行

美術雑誌Bienです。この雑誌も現在は入手困難ですが、尾竹兄弟の絵がカラーで掲載されていますので、実際に尾竹兄弟の絵を見たことがないという人には特にお勧しておきます。

尾竹兄弟の略歴はもちろん、図版解説、系図、尾竹俊介さんのインタビューなども載っています。

 

ー下記 本文より抜粋 一部編集、省略しておりますー

 

「闇に立つ日本画家 尾竹国観伝」を著した真の目的は、天心や大観の謀略を暴き、尾竹三兄弟の無念を晴らすことにあらず。ただ現代人の曇りのない眼で三兄弟の絵の再評価を願うことにあり。 ~尾竹俊介~

 

当時、権力を手中にしつつあった横山大観の「密室の横暴」に敢然と戦いを挑んだのは、誰であろう、尾竹三兄弟であった。尾竹兄弟の運命を決定づけた2つの事件の概要、それを機に不遇の晩年を強いられることになった尾竹兄弟への影響を俯瞰する。 ~美術評論家・瀬木真一~

 

横山大観は文展を離れて日本美術院を再興して、日の出の勢い。その大観と喧嘩したということになれば、画商はみんな大観の方に付くんですよ。そういう連中が敵に回ったらね。干されちゃいますよ。あからさまに絵を買ってくれなくなる。尾竹三兄弟、一派、弟子たちもみんな負け組になっちゃう。 ~福富太郎~

 

 

                                             以上

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上に書いた文章を読むと、横山大観の圧倒的な政治力に尾竹三兄弟は敗れ終わったのだと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そうではありません。

何故なら尾竹兄弟の絵はこの世から消え去ってはいないからです。そもそも横山大観よりも、元々の画力は尾竹兄弟の方が上です。

美術作品に対する評価基準は微妙なものがあり、絶対的な正解は難しいとされています。「美術年鑑」を参考に少し例を挙げますと、各種展覧会、個展、ジャーナリズム、鑑賞界の人気、人格、作家の人気、功績等々、です。

勿論、私の執筆している尾竹家・評伝が世の中に出たからといって、尾竹兄弟の絵に対する評価は何ら変わるものではないのかもしれません。

ですが1つ言えるのは、世俗的な評価を変えられないとしても、死んでなお輝きを放つ尾竹兄弟の絵にさらに強く聖なる光と耀きを付与することはできると私は思っています。そして、その他の家系の方々、縁者の方々、尾竹兄弟の絵を愛してくれている方々にも何らかの気付きや、様々な影響はあるのではないかと思っています。

特に尾竹兄弟の絵を好きで応援してくれている愛好家の方々、ファンの皆さんに対しては、皆さんの持つ審美眼の正しさと、皆さんが尾竹兄弟の絵に感じているものの魅力の背景を私なりに書籍にて描いてみたいと考えております。そしてそれは、尾竹兄弟を応援してくれる人達への感謝を表すものになります。

尾竹三兄弟には十分な画力があり、系図・系譜から見ると日本の文化、歴史に対する貢献度もかなりのものがあると思っています。また同時代を生きた多くの才能ある芸術家、文化人、実業家、政治家などからも、その実力を認められていました。

多くの才能ある人物を世のに送り出し続けてきた「家系」の姿は、その全体像を知る私の目には日本という国の歴史と深く関わりながら、政治・思想・哲学・文化・芸術・文学・神事・天文・医学などを継承してきた事が見えています。(詳細は「尾竹三兄弟・評伝」に書かせていただきます)

そうした歴史的な背景のある尾竹兄弟の絵に関する情報と知識は多くの人々に共有されて良いものではないでしょうか。そのように私は考え執筆の筆を進めています。

 

* 尚、美術雑誌Bienには、尾竹家の系図が載っていますが、かなり重要な部分が抜けてしまっています。私が現在執筆中の「尾竹三兄弟・評伝」にはその重要な部分を殆ど余すところなく掲載する予定でおります。掲載可能な範囲にはなります。

ただでさえ登場する人物の多い作品なので、ある程度まで登場人物を絞らないと作品としてのまとまりがなくなってしまう為。

また一人一人の調べる情報量がこれ以上増えて行くと、書籍の完成自体が危うくなってしまいそうな状況になってきています。それではあまりにも本末転倒です。

書物として詳しく詳細に書いてはあるが、ストーリー性もなく辞書みたいで読みにくいと言われるような作品にするよりは、しっかりとポイントを押さえて、ストーリー性もあり、読みやすく読み応えのある作品にしたいと考えております。

完成はまだ先になります、気長にお待ち下さい。           ~音咲ヒカル~

 

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「系図比較」

 

執筆の為に系図を眺めていると不思議に思いますが、明らかに尾竹家の家系図は神様の意図が感じられるというか、誰かが設計図を書いたように思えてしまいます。

尾竹兄弟が日本画壇から抹消されるきっかけとなった重要人物、岡倉天心、横山大観の系図と比べて見たりもしていますが、随分と違う気がしませんか?

 

「尾竹家・関連系図」*画像・上段は新潟市潟東民俗資料館パンフレットより抜粋転載。中断は筆者作成。下段は森鴎外記念館・企画展パンフレットより抜粋転載。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「岡倉天心・系図」*岡倉天心物語・著:新井恵美子より抜粋転載。

 

 

 

「横山大観・系図」*論文・酒井捨彦が作製した地図の特色―明治期における1つの民間地図作製史― 著:小野寺淳、石井智子、塚本麻文より抜粋転載。

 

 

岡倉天心、横山大観の系図に関しては、確認中の事も多いのでこの場での解説は特にいたしませんが、私は何となく尾竹家の系図を見た時に感じる印象との違いを実感しています。

何というか普通なんです。印象が。上手く説明は出来ませんが、私としては尋常ならざる神の御業が色濃く感じ取れないのです。

皆さんがどのように感じ、思うのかは分かりませんが、私は自分なりの回答を執筆中の書籍に書き記したいと思っております。

 

 

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「実像に迫るとは?」

執筆中の「尾竹・評伝」を書きながら、実像に迫るとはどういうことなのかを考えていました。

私の描いている「尾竹・評伝」はかなり抽象度の高い内容になっているので、これまでに出版されている日本画家・尾竹兄弟の書籍とは、違った視点で綴られた作品になっております。

私は敢えて尾竹兄弟・尾竹家を描くのに多くの系図を載せていますが、それには幾つかの理由があります。1つは読者が人物を俯瞰的にイメージしやすいようにし、尚且つ複雑な登場人物の関係性を分かりやすくするためです。

また1つは、一人の人間の実像に迫るとなった場合に、その歴史的な背景を無視することは出来ないと筆者は考えるからです。

どういう事か分からないという方もいらっしゃるかと思いますので、今回は別枠で書いていた「三島由紀夫」に関する文書にて、何となくでも私の言っている抽象度を上げた視点で人物を考察する事が、どのようなものなのかを少しでもご理解いただけますと幸いです。

 

始めに三島由紀夫の略歴です。

 

* 「三島由紀夫」(みしまゆきお) 本名・平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年〈大正14年〉 - 1970年〈昭和45年〉は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。


戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある。


代表作は小説に「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「鏡子の家」「憂国」「豊饒の海」など、戯曲に「近代能楽集」「鹿鳴館」「サド侯爵夫人」などがある。


晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。
バルコニーでクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。この一件は社会に大きな衝撃を与え、国内の政治運動や文学界に大きな影響を与えた。

 

ここからが本編です。

 

今回は三島由紀夫の歴史的、霊的な背景を紐解く事で、皆様ご自身の歴史的、霊的な背景の見方が向上するような内容になればという思いでいますので、最後までお読みいただけますと幸いです。

*注:ここで扱う霊格について、「霊格」=崇高さ・純粋さの純度の高さ。情報空間の高さ、抽象度の高さを表します。抽象度の一番高いとこにあるのがブッダや、ナーガールジュナの語る「空」(くう)になります。

誤解のないように説明しておきますが、霊格が高い事が良くて、低い事が悪いという事ではありません。どちらも等価です。勘違いしないようにして読み進めて下さい。

 

霊格の低い人は自身の歴史を知ってはいても表面的な部分のみの理解しか出来ていない状態にあります。自分自身の家系的な流れを知っていても、それが何を意味するのか、どのように自分に影響を与えているのか殆ど理解していない人は霊格が低い状態にあるという事です。

一方、霊格が高い人は自分の歴史的・霊的な背景に対する理解が深くて広い方です。勿論、霊格が高いからといって何でもお見通しという事ではありませんが、普通の人ではない才能や行動力、運を持っています。

ただ霊格が高い方は元々持っている自分自身の潜在能力が高いが故に、この世での目的、目標も高いので厳しい宿命を背っていることが殆どです。

霊格が高い人=順風満帆で幸せな人生ではないという事です。それは歴史上の聖人、偉人と言われる人たちの生涯を見てみればお分かりいただける事かと思います。

 

 

 

三島由紀夫という人物を考える時に作品や言論、思想、人格などに基づいて考えるといのも必要ですが、そこから三島家という家筋、つまりは家系の歴史的背景を加えると、それまではまったく見えなかった人知を超えたような物語が浮かび上がって来ます。

三島由紀夫の主な才能は批評家、舞台演劇、小説家、詩、政治的な活動など多岐に渡っています。その才能を開花させるには本人の努力がありますが、その才能を育んだ家風・家筋はどのようなものだったのでしょうか。

三島由紀夫の父方、母方の家系の歴史を見てみましょう。

父方である平岡家、永井家から見て行きましょう。平岡家は官僚・法律家。永井家は経済人。母方の橋家は学者・教育者の家系です。また家系の中には神職の方もおられます。

「平岡梓は農林官僚」、「平岡定太郎は内務官僚」、「平岡万次郎は弁護士」、「磯崎清吉は海軍造船中将」、「磯崎叡は国鉄総裁」、「伊部恭之助は住友銀行頭取」、「大屋敦は住友本社理事」、「永井壮吉は上野東照宮宮司」、「橋健堂は漢学者」、「橋健三は東京開成中学校長」、「橋健行は医学博士」、「永井荷風は小説家」、「竹中藤右衛門は貴族院議員」、等々。

また三島由紀夫の「高祖父・松平頼位は大名・常陸国宍戸藩の藩主。後年、常盤神社の神官」となった人物です。

私の視点でお話させて頂くと、その家筋の中で傑出した才能を花開かせる人物というのは1代で誕生するものではないという事です。

三島由紀夫の場合はその誕生の前に、まず三代に渡り漢学の研鑽を積んだ「橋一巴」、「橋健堂」、「橋健三」が礎として存在し。明治期に文学少年で医学博士の「橋健行」が登場。そしてその橋健行の妹・「倭文重」から三島由紀夫が生まれている。

ご覧頂いた通り、少なく見積もっても数世代を経て平岡家に誕生した三島由紀夫は、見事に日本の文壇において大輪の花を咲かせてみせる訳です。勿論、三島由紀夫の家筋に関わる人たちの才能も霊格の高い三島由紀夫は呼び起こすことが出来ますから、小説家としてだけではなく様々な分野で活躍する事が出来たのではないかと思います。

ようするに長い年月を掛けて、何世代にも渡り、家筋の歳月の中で熟成させた数多の才能を凝縮させ誕生した存在が三島由紀夫だったのではないかと、私は思います。

ただ始めにお伝えした通り、霊格が高いが故に三島由紀夫もまた一筋縄ではいかない人生になったのだと思います。

現在においても、三島由紀夫の語っていたこと、書いていたことが、日本の未来を見通していたとか、歴史の大きな転換点を予見していたとか言われています。ですが霊的なものに敏感で、霊格の高い三島由紀夫という芸術家にとってそれは当然のことなのです。

 

 

私のブログやSNSなどをご覧になっている方はご存知だと思いますが、私の語る家系の登場人物たちも才能を発揮した方たちは、やはり平坦ではなく、一筋縄ではいかない人生を歩みました。

日本画壇に彗星のごとく登場した尾竹兄弟は政治的な圧力によって日本画壇史より追い込まれ抹殺されたままです。青踏の女・尾竹一枝(富本一枝)は新しい女ともてはやされましたが、その一方では世間に叩かれ、悪妻と呼ばれていました。

私の家系に登場する方々の中には、普通ではない波乱万丈な人生を歩んだ人物が多く見られます。大きな宿命を背負った人物は、形はどうであれ自分自身の人生をまっとうしこの世を去って行きました。

そしてもしかすると三島由紀夫の家系に見たように、後の世に現れる家筋の誰かのために何かを託して、この世を去って行ったのかも知れません。

この文章を読んでいる皆さんも大なり小なり何らかの宿命を持っていると思います。

そして今は何と言っても文明の転換点にあります。そうした転換点に立ち会っているという事は皆さんは現在の混沌とした状況を切り抜け、新しい文明の幕開けを先祖から託されたのかも知れません。実はその1点だけでも皆さんの背負った宿命は大きいのではないでしょうか。

今回の内容は三島由紀夫の家系を身ながら、霊格についても話させて頂きましたが、人間一人の背景には深淵なる世界が広がっているということが垣間見えたのではないのでしょうか。



「おわりに」

私は自分の家系的な背景を知る以前から三島由紀夫作品に触れて来ていましたので、家系の歴史を調べて行くうちに三島由紀夫と実は縁が深かった事に衝撃を受けました。

富本一枝の息子である富本壮吉が三島由紀夫原作の「獣の戯れ」の映画監督をしています。この映画には三島由紀夫が愛した映画女優・若尾文子が出演されています。企画は藤井浩明です。また壮吉の親友、堤清二(辻井喬)は三島由紀夫の支援者でした。その他数え上げればきりがありませんが蕗谷虹児、松井須磨子、森茉莉、そして今回の文章には書けませんでしたが三島由紀夫の背景には森鷗外の姿があちこちに見えて来ます。

これは既に皆さんご存知だとは思いますが、尾竹越堂の孫である美穂は森鷗外の息子・森類と結婚しています。

 

尾竹・評伝では、抽象度を上げ、令和の時代に見る尾竹兄弟、尾竹家の姿を披露したいと思っています。

今回は以上です。

 

三島由紀夫の戯曲は、美輪明宏「黒蜥蜴」「葵の上・卒塔婆小町」観に行っていました。

 

 

 




 

coming soon