音咲ヒカル blog No.7

 

 

 みなさん今晩は、音咲ヒカルです。ご観覧いただきありがとうございます。今回は前回の続きになります。

 

 

「富本壮吉」と「堤清二」(辻井喬)

 

 

 昭和のはじめにこの世に生を受けた「富本壮吉・とみもとそうきち」「堤清二・つつみせいじ」(作家名:辻井喬・つじいたかし)が知り合ったのは、日本がまだ他国と度々戦争を繰り返していた頃の事になります。

 都立第十中学校にて同級生だった二人は、お互いに自分の親の不和などについて悩みを持ち、それを語り合ううちに、心の距離を近づけ友情が芽生え仲良くなっていったようです。

 勿論、出会った当時は二人とも世の中のことを知るにはまだ幼い年齢ですから、お互いの家庭の親が、どのような人物なのかは正確には知らなかったということです。

 

 実際には「壮吉」の父は著名な陶芸家であり、後に人間国宝となる「富本憲吉」、母は「青踏」の女であり、女性解放運動の先駆者・指導者である「富本一枝」(尾竹一枝)。

 一方、「清二」の父は当時、不動産業を営み、派手な女性関係はありながらも、後に衆議院議長を務め、そしてあの「西武王国」、プリンスホテル、西武鉄道、コクドとして世に名を轟かせる事となる「堤家」の創始者となる「堤康次郎・つつみやすじろう」です。

 

 

 「堤清二」(辻井喬)が「富本憲吉」と「富本一枝」の生涯を「壮吉」の視点を借りながら綴った「終わりなき祝祭」というモデル小説を書いたのは、幼馴染であり親友である壮吉の夢を何らかの方法で「作品」として形にしてあげたいと考えたからと、「壮吉」という才能ある存在がいた事を世の中の人に知ってもらいたいという思いからだったようです。

 

 壮吉が終生、清二に語っていた夢とは、自身の両親である「富本憲吉」と「富本一枝」をモデルとした映像作品を作りたいというものでした。

 ですが両親をモデルにした、男と女の愛と憎しみを描いた作品を撮ることができないまま壮吉は病に倒れ、亡くなってしまいました。

 

 「終わりなき祝祭」の中での「壮吉」の言葉を借りるなら「フランス映画に、いろいろ男と女のことをテーマにした傑作があるけど、僕はもし一本自由に撮れるようになったら、おやじと母親のことを正面からじっくり映画にしてみたい。映画を創ることが、そのまま僕自身にとっての人生の発見に通じているような。(省略)(本文より抜粋)」

 壮吉の思い描いていた両親をモデルにした映画、それはまた男女の物語という意味だけではなく、壮吉自身の実存にも深く関係する意味合いを持っていたと思います。

 自身の抱える実存的な問題は、壮吉と清二に共通する感覚だったように思えます。特殊な家庭環境と境遇も相まって、二人には似ているところが多く見られるように思えます。

 

 そして壮吉の死後、堤清二(辻井喬)は壮吉が病床で書き綴っていた散文詩や、メモなどを読み、取材を進め小説「終わりなき祝祭」を書きます。

 

 「終わりなき祝祭」の内容に関してはここではあまり触れません。何故なら私がこの作品に対して一読者として客観的に読むことが出来ないからです。

 現在の私は「尾竹家」はもちろん、「富本家」やその他の「家」と、それらに関わる人々に関する資料を読んだり、取材を進めています。つまり私はモデル小説とはいえ、自分と地続きの身内の話としてしか「終わりなき祝祭」という作品を読むことができない状態にあるという事です。(読み終えてから、あまり時間が経っていないとう事も影響しています)

 

 実は私が現在執筆中の「尾竹三兄弟・評伝」を創作するうちに特別興味を惹かれたのが壮吉の母、「富本一枝」(尾竹一枝)でした。

 そして、「富本家」についてもかなり知ってしまった段階で、堤清二(辻井喬)さんが書いた「終わりなき祝祭」を読むことになってしまった訳です。

 そうすると自分の中でも色々と整理のつかないこともあって、作品に対して客観的に読むことが難しくなってしまったというのが正直なところです。

 

 ですから、「終わりなき祝祭」の内容に関する詳細ななコメントはこの場では極力控えさせて頂きたいと思います。 

 

 

 

 

 

 

 少しだけお伝えしておきたいのは、当たり前の事ですが「終わりなき祝祭」で描かれている作品の時代背景、つまりは、壮吉と清二の生きた時代背景と社会状況。そして壮吉の両親の生きた時代と社会状況はよく踏まえた上で読んでいただきたい作品だという事です。

 

 何と言っても現在の日本社会は劣化が進み、社会的な寛容さや、地域共同体の空洞化、人と人とのの関係性の希薄化、などもあり「終わりなき祝祭」で描かれているような世界観を理解することに難しさを覚える人も多いと思われるからです。

 

 「終わりなき祝祭」に描かれる人たちには人間関係における厚みがあります。愛情、憎しみ、友情、悲しみ、喜び、それらは現在の私たちが感受しているものとは少し違っているということです。

 数多くの登場人物たちと、「富本壮吉」と「堤清二」(辻井喬)の二人は、「天皇」が人間宣言をしていない時代に生まれています。

 ですから「戦争」、「敗戦」、そして「戦後」という流れと、その時の社会状況・背景を頭に入れて物語を読まないと上手く内容を理解することができないかと思います。

 

 「終わりなき祝祭」の中にも所々にそうした社会の変化が語られています。幾つかを本文より抜粋してご紹介させていただきます。

 

・ 「かなりの記録が、戦争を聖戦と信じ、天皇陛下のために死ぬことに誇りを持っていたからである。なかには一億玉砕を予想し、そのさきがけになれたことを幸福に思い、日本精神の大義に殉じて魂の復活を歌っているものもあった。」

 

・ 「学校を卒業して見れば、かつての熱心な革新派も、場合によっては革新的であったから尚のこと、権力主義者になり、世俗に塗れ、俗人になってしまう者が多いのを彼も知っていた。」

 

・ 「学生の頃は、党派性、革命家のモラルといった規範が彼を支えていた。しかし映画監督になって以後、思想性は後退し、彼には生来の潔癖感以外の物差しはなかった。(中略)かつては長所と評価されていた特徴が世の中の変化で古さに変わっているのかもしれないというふうに考えてみた。」            (本文より抜粋)

 

                                             以上。

 

 最初にご案内しまいたように「終わりなき祝祭」は、「富本憲吉」と「富本一枝」の生涯を「壮吉」の視点を借りながら綴った物語です。

 勿論、物語は富本憲吉と富本一枝(尾竹一枝)をモデルにした男と女の話として描かれていますが、実際には多重構造になっています。社会的な変化・価値観の変化などが登場人物たちの人生の流れとともに内面の変化としても描かれています。

 

 また「終わりなき祝祭」の作中にて、「富本壮吉」「富本一枝」「富本壮吉」はそれぞれに人生の幕を閉じて行きます。

 「終わりなき祝祭」という小説の作者である堤清二(辻井喬)は幼馴染であり、親友である「壮吉」の夢であった壮吉の両親をモデルとした作品を、亡くなった親友の想いに答えるように描きました。

 

 現在、私自身も「尾竹家」「富本家」の物語を亡くなった方々の想いに寄り添いながら創り上げている最中です。私はこの世に生まれてくるのが少し遅かったので「憲吉」さん、「一枝」さん、「壮吉」さん、「清二」さん、その他の方々にもお会いすることはできませんでしたが、この「終わりなき祝祭」を通して、私は登場する人たちの人生に、これまでよりもずっと深く触れられたような気がしています。

 そして先人たちから自分に託されたものは何なのかを、改めて考えるきっかけにもなりました。

 

 

 このブログを読んでくださっている皆様の中で興味のある方は、「終わりなき祝祭」をご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

 

* 最後に「堤家」について詳しく知りたいという方は、「ミカドの肖像」(著・猪瀬直樹)をお読みなることをお勧めしておきます。

 これもまた偶然か、必然か分かりませんが、私が「壮吉」さんと「清二」さんの関係を知る前にたまたま買っていた本になります。別な人物について調べる為に猪瀬直樹さんの本を何冊か買っていたものの中の一冊が偶然にも「ミカドの肖像」でした。

 

 

 

 

 

 

それでは、また次回。

2020年03月30日